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静岡県藤枝市(駿河の国)田中城址と田中城下屋敷を詳しくレビュー。実はとっても珍しい形の城なんですよ!

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(本記事の最終更新日は、2020年3月6日です。)

こんにちは!山猫の雑記ブログ管理人の山猫です。(@yamaneko_solar
今日は、静岡県藤枝市にある、田中城というお城跡のご紹介をします

子ども猫
子ども猫

田中城って、どんなお城だったの?

山猫
山猫

実はかなり重要な城だったのだけど、あまり知られていないね・・・

 

今回は、田中城の跡を歩いて、なるべく詳しくレポートするよ!

 

実は、この記事を書き始める段階で2回、田中城址に取材に行っています。

しかし、まだ、見てみたい箇所が少し残っています。。。

歴史上の遺物が点在していますので、どこまでご紹介できるか。。

何回かに分けて取材して、徐々に内容を濃くしていきたいと考えています。

 

ちなみにこの記事は、2018年の12月から書いています。

多分すぐに変化があるとは思いませんが、このような史跡は、いつの間にか造成されて宅地になってしまったりしますので・・・

ずっと後にこの記事を読んだ方は、そういえば昔こんな堀が残っていたなあとか、この土塁懐かしいなあとか思うかもしれませんね。。

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田中城ってどんな城?

 

子ども猫
子ども猫

では、早速解説をお願いします!

史実を語る場合は、下手に自分の言葉で書くよりも、wikiを引用したほうが確実だし、間違いがありません。

とりあえず、城の概要を引用してみましょう。

田中城は天文6年(1537年)に駿河今川氏によって築かれた。

永禄13年(1570年)の武田氏による駿河侵攻以降、三河の徳川氏に対抗する駿河西部の城砦網の要として重要視された。

 

天正10年(1582年)、徳川勢により攻められ開城。

天正18年(1590年)の徳川家関東移封後は駿府城主中村一忠の管轄となった。

慶長6年(1601年)、酒井忠利が田中藩主となり城域の拡張や藤枝宿の城下町への取り込みなどを行った。

酒井忠利は慶長14年(1609年)に川越に転出し、以後は駿府に居を構える徳川頼宣・徳川家康によって支配された。

なお、元和2年(1616年)1月に徳川家康は田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて鯛の天ぷらを食した。

これが家康の死因とする説がある(詳細については徳川家康参照)。

 

寛永10年(1633年)以後、松平氏、水野氏、北条氏等が封じられた後、

享保15年(1730年)、本多正矩が4万石で封じられ、以降明治維新まで同地に拠った。

明治元年(1868年)、最後の田中藩主本多正訥が安房長尾藩に移封される。

駿河国に転封となった徳川本家(静岡藩)の支配地となり、高橋泥舟が城を預かる。のち廃城となった。

なるほど、最初は、駿河を治めていた今川氏によって作られた城なのですね

駿河の国は、今川氏が治めていたのですが・・・

武田、徳川によって今川が追い出された後は、今川が持っていた、駿河国、遠江国の内、駿河を武田氏、遠江を徳川が支配するようになりました。

ちなみに駿河と遠江の境は、大井川という河川。広域の地図で見てみましょう。

中央に見えるのが田中城の位置。右上に見える静岡市に、駿河の中心の駿府城がありました。一方、駿河と遠江の境となった、大井川は、地図の左下。島田市を流れる河川。

この地図を見ると、田中城が、駿河の国を守る上で重要な拠点に建っているいることがわかります。

武田氏が敗れた後は、駿河の国は徳川の領地となります。(その後、徳川家は関東8州に移動させられたりしますが。。。)

徳川家康は、晩年 駿河の国の駿府城を居城とします。田中城周辺は鷹狩の好適地であり、家康は定期的に田中城を訪れていたようですね。

田中城は、家康の死の原因となったとも言われている、鯛の天ぷらを提供した城としても有名です

家康が食中毒で亡くなったかどうかは、正確な答えは出ないかもしれません。

最新の研究では、胃がんで亡くなったのでないかという話になっていますが、それが正しいのかどうか山猫にはわかりません。。

 

ただ、この当時のてんぷらは、ごま油で上げた物。

しかも「おいしい」と言ってたくさん食べたそうです。

お年寄りが、脂っこい物をたくさん食べるのはそれだけで具合を悪くしそうですが、、、どうだったんでしょうね?

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田中城の構造

田中城は、平野に作られた平城です。本丸を中心に4重の堀が同心円状に配置された全国でも珍しい構造の城なんです。

城の直径は、約600m 。出城にしては、かなりの規模です。

4重の堀のほかにも、各門の前には、敵の侵入を防ぐ三日月堀が配置されていました。

その見た目から、別名:亀甲城、亀井城とも呼ばれていました。

 

城の南側には、六間川と呼ばれる川が流れていて、(現在も流れています。)その川が城の境になっています。

田中城の見学の拠点は、史跡 田中城下屋敷

田中城は、直径600mの円形の城です。見学はいきなり本丸から始めたいところですが、、、

田中城の見学の拠点は、田中城本体の南側にある、田中城下屋敷なんです。

 

ここには、見学者用の駐車場も完備されていますし、散策用の地図などの資料も手に入れる事が出来ます。

もちろん、田中城下屋敷の見学もできますから、田中城に来たらまずここから見学を始めるのが吉ですね。

ちなみに、田中城下屋敷があった場所は、田中城の南側。

上の地図の赤枠で囲った部分です。そもそも下屋敷とは、城主の別荘が置かれた場所。

川の流れを引き込んで庭園を造成し、四季の景色を楽しんだともいわれています。

 

六間川の河川改修のため、下屋敷はかなり削られてしまっていますがそれでも、当時の面影を色濃く残しています。

赤い点線が現在残っている、史跡の形状です。

この田中城下屋敷は、平成4年から8年に庭園を復元しました。

そして、田中城にゆかりのある建物をこの敷地内に移築しています。

 

もともと、この場所にあった建物ではないのですが・・・

田中城内や周辺にあった建物がここに集められているという恰好です。

田中城を題材としたちょっとしたテーマパークのようになっています。

では、早速、田中城下屋敷をレビューしてみましょう。

駐車場はわかりにくい場所ではありませんが、田中城の本丸からちょっと離れた場所にあることに注意が必要ですね!

本来は、正門から入るべきなのでしょうが、駐車場に車を止めて、最初に目につくのは、下屋敷の南東側にある裏門です。。。

本当はぐるっと回って正門から入ることをお勧めします。。

山猫はなんどか来ているので裏から入ってしまいましたが。。。

入って最初に目につくのは、旧六間川(今では暗渠になっています。)に沿って作られた土塁です。

これは何のためにあったのかよくわからないですね。

駿府城のみかんの木を接ぎ木したらしいのですが、歴史的価値は良くわかりません。。

美しい庭園が復元されています。

当時の人も同じような風景を見ていたのでしょうか?そう考えると感慨深いですね!

江戸時代後期に、下屋敷に置かれていたといわれている、亀石と鶴石。

鶴石の方は行方不明らしいのですが、亀石は、昭和42年に行われた六間川の改修工事の際に発見されたとの事。

紆余曲折の後、この下屋敷に戻ってきました。

庭園内にある茶室です。

もともと、下屋敷の庭園内にあった茶室ではないかと言われています。

資料によると、何回か移設をしている模様。

昔の建物は、分解、移動が行われることも珍しくなかったみたいですね。

家の持ち主が変わりつつ、どんどん移動していくのは面白いです!

仲間部屋・厩と呼ばれている建物です。

この建物も何回か移設されていますが、もともとは、田中城内の長屋門に付設された納屋であったようです。

長楽寺村郷蔵です。郷蔵とは、年貢米や飢饉に備えた非常用の蔵で、コメを保存していたようです。

もともと城内にあった建物とは書かれていませんでした。

もともと郷蔵は、村ごとに置かれていたそうなので、城内にあるのはちょっとおかしいですよね。

ただ、藤枝市内に残るただ一つの郷蔵という事で、非常に貴重な建造物なのです!

ようやく、田中城本丸の櫓につきました。と言っても真っすぐくれば数分なのですが。。

 

田中城は、天守閣を持っておらず、本丸にあったのは、写真の櫓です。

2階建ての小さな建物ではありますが、高さ9尺(2.7m)の石垣の上に建てられているので、結構高く感じます。

この建物は、中に入る事が出来るので、早速見学してみましょう!

一階は、田中城の模型が置かれていますね。

2階に続く階段はかなり急なので気を付けて登りましょう。

2階は、田中城の資料の展示がメインですが、窓から風景を楽しむことが出来ます。

この地域は現在は住宅街になっていますので、2階までの建物が多く、田中城本丸櫓からは遠くの景色が良く見えます。

窓の外には、六間川が流れています。

この川は護岸もコンクリートではなく土ですし、サクラの木がたくさん植えられています。

春はきっと素晴らしい眺めになるのでしょうね!

窓から風景です。手前に見えているのが、長楽寺村郷蔵です。

そろそろ、田中城下屋敷の見学も終わりが近づいてきました。

公園内にある暗渠ですが、これが旧六間川です。

この遊歩道の下に水が流れています。(よく聞いていると水の音が聞こえますよ!)

やっと、田中城下屋敷の見学が終わりました。。。

でも、田中城の見学はこれから!いよいよ下屋敷の外に出て田中城本丸を目指します。

田中城本丸を目指す!2日めの散策

今回の散策ルートです。①の田中城下屋敷を出発して、

2:平島木戸

3:土塁

4:土塁

5:三之堀

6:二之堀

7:本丸跡

8:三日月堀跡

その後、1に戻るルートです。

本当は、もう少し見たい所もあるのですが、今回は時間の関係で、このルートに。。

それほど距離はないので、1時間もあれば一回り出来てしまいますよ!

ちなみに三日目の散策では、姥ヶ池(うばがいけ)/  馬上の清水に行っています

三日目のもようは下にー下に―スクロールしてください。

2:平島木戸

実は木戸の場所には何も残っていません。。ちょっとがっくり。

現在は、石柱が立っているだけという悲しい状況なのです。。

 

住宅地になってしまったのでしかたのないところもあるのですが、もう少し古い建物や建造物を残してくれると嬉しいのですが、、

さて、平島木戸から本丸方向に歩いていくと、右手に怪しい地形が広がっています。

3:土塁

住宅地に突然土塁があるのが面白いですね。

現在畑になっている部分が、もともと三之堀だった部分。後方の土塁は、三の丸土塁の一部です。

このまま昔の堀の縁を歩いていくと、また土塁が見えてきます。

4:土塁

結構、背が高くてびっくりしますよね!

こんな巨大な構造物がある場所をなんで住宅街にしたんでしょう?

田中城周辺の道は、本丸を中心に同心円状に広がっているので、このように緩やかにずっと曲がっている道が珍しくありません。

住んでいる人は慣れているのでしょうが、真っすぐの道を見慣れていると、みんな同じように曲がっている道はなんだか変な感じがします!

5:三之堀

三之堀後に沿ってずっと歩いていくと、中学校の近くで、水堀が残っている場所につきます。

奥に見えるのが中学校。ここには土塁も残っています。これだけ広い堀に高い土塁。かなり防御力は高かったのかな?

お堀のそばに、詳しい説明書きがありました。

三の堀の向かいにある石垣は、田中城の時の物という文献があるのですが、確かにかなり古くて歴史を感じさせる石垣ではあるのですが、特に説明書き等は見当たらず。。

一応写真を撮って見ましたがどうなんでしょうか?

一旦、道を戻って、二之堀に向かいます。

6:二之堀

堀に掛けられた木の橋が目印。田中城の遺構の中で最大の観光ポイントが、この二之堀です!

水鳥が行きかう美しい堀・・二之堀です!

田中城は、一部は石垣ですが、ほとんど土の壁で作られた城ですので、堀も普通の公園の池のようです。

今は一部しか残っていないのですが、この二之堀や三之堀が、ぐるっと一周城を取り囲んでいたことを想像すると、城のスケールがなんとなくわかってきます。

さて、今度は、本丸跡を目指します。

7:本丸跡

残念な事に、本丸跡は、丸ごと小学校になっていて、残っているものは何もありません。。

でも本丸にあった櫓は、田中城下屋敷に、移設されているので、そちらで見ることが出来るのですけどね。

 

本丸のあった小学校には、田中城のジオラマ?がありますよ。

ジオラマには立派な天守閣がありますが、実際は、ここまで立派な物はなかったとの事。

では、今回の散策では最後の観光スポットである、三日月堀あとに向かいます。

8:三日月堀跡

芝生の向こう側が三日月状にへこんでいるのがわかりますか?(あまり近くで撮影できなかったので、極めてわかりにくいですよね。。)あそこが三日月堀の後のようです。

一応看板が出ていたので間違いないはず

もうちょっとちゃんと復元してくれれば、見ごたえがあるのですが、今のままでは、史跡なのか、ただの溝なのかよくわからないという感じ。

今回の散策(2日目)はこれでおしまいです。

このまま、田中城下屋敷に戻りました。

六間川沿いに歩いていけば、自動的に田中城下屋敷につきます。

流れも穏やかでとっても綺麗な川です。この川を散策するのも面白そうですね!

いったいどこから流れてくるのでしょうか?

とりあえず2日目までの散策を記事にまとめました。3日目は、馬上の清水や姥ケ池に回ってみる予定です。

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取材三日目!

田中城周辺の散歩も三日目になりました!

二日目で主要な観光ポイントは回ったのですが、いくつか時間の関係で行けていない場所がありますので、残りのポイントを制覇する目的で三日目の取材を行いました。

本日のコース

三日目のコースは、以下の通り

スタート・ゴールは、田中城下屋敷で変わらずですが、コースがだいぶ広範囲になっているのが分かりますね!

今回の目的地は、家康が田中城に立ち寄った際に、馬に乗ったまま飲んだと言われている

 

「馬上の清水」(もちろん、従者が汲んだ水を飲んだという意味で、アクロバティックな飲み方をしたわけではない!)と、

田中城の水源で、今も綺麗な水が湧き出している、姥ケ池(うばがいけ)

そして、2日目に見落としていた、三の堀の土塁を見て帰るルートです。

1.馬上の清水

家康が、田中城に立ち寄った時に飲んだと言われている馬上の清水は、田中城平島木戸から御成街道を北東に進んだ場所にあります。

木戸からの距離は300m~400mくらいです。

さて、その馬上の清水の現在の姿がこちら・・

正直な所、看板(立札)がなければ、通り過ぎてしまう感じ。

水も濁っていて、ものすごい想像力を働かせないと、家康がここで水を飲んでいる姿は想像できませんね・・・

ここから、次のポイントの姥ケ池(うばがいけ)は、田中城を挟んだ反対側。

かなりの距離がありますので急いで歩いていきます。

一応、次のポイント(ポイント2)は三の堀に設定しましたが、二日目の探訪で訪れているので、そちらに追記して、本項ではパスしました。

という事で次はポイント3の姥ケ池(うばがいけ)です。

3.姥ケ池(うばがいけ)

姥ケ池(うばがいけ)は田中城の水源として使用されていた湧水の池です。

田中城周辺では、最も良い水と言われ、この池の水を田中城に引き込んで使用していたそうです。

さて、そんな姥ケ池(うばがいけ)はどんな池なんでしょうか?

田中城の三の堀から歩く事5分。姥ケ池(うばがいけ)が見えてきましたよ

お!なんだかすごく綺麗な水に見える!

姥ケ池(うばがいけ)に着きました。

ちゃんとした看板が設置されていますね!

姥ケ池(うばがいけ)は今でも、キレイな水が湧き出ていて、透き通った水にコイが泳いでいます。

水深は、それほどありませんが、底まですっきりと見えています。

コイにとっては、キレイな水の方がいいのかな?

「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」という歌もありますが。。

※ ちなみにこの歌に出てくる「田沼」とは、相良藩主であり老中でもあった「田沼意次」の事。

姥ケ池(うばがいけ)には不思議な物が沈んでいました。

何か、町名の書いた丸い物が・・・これは一体何かというと、

祭りで使う山車の車輪だと思われます。

このあたりの山車の車輪は、丸太を切ったものなのですが、水に浸けておかないと、ひび割れてしまうのですね。

なので、祭り以外の時は、こうして池に沈めてあるわけです

でも、これだけたくさんの車輪が沈められているのを見たのはこれが初めてでした。やはり、この池は特別という事なのでしょう。

では、姥ケ池(うばがいけ)を後にして、田中城下屋敷に戻ります。

その途中でちょっと寄り道して、この前見逃した三の堀の土塁を見に行きます。

土塁

住宅街の中に、ポツンと土塁が残っていました。

この土塁もいずれ削られて亡くなってしまうのかな?逆を言えば、どんな偶然の結果この土塁が残ったのか?時間をさかのぼれるのなら見てみたいものです!

 

この土塁は三の堀のもの。

土塁の前は、田んぼになっていました。

多分、この田んぼは、昔、水の入った堀だったんだろうなあと想像しつつ、三日目の探訪は終了。

これで、田中城に関する主な史跡は見たつもりだったのですが、、実は、一カ所だけ忘れ物が。。

田中城の門が移設されているという、「旭傳院(ぎょくでんいん)」というお寺。

今回は時間の関係で回れませんでした。このまま行かないかもしれないが、もしかしたら4回目があるかも??

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静岡県藤枝市 田中城散策 ~まとめ~

今回は、徳川家康 ゆかりの城。

田中城と田中城下屋敷のご紹介でした。

城のほとんどが住宅街に変貌してしまっているので、お城見学と言うよりは、かろうじて残っている史跡を探して回るという感じになってしまいますが、今ならまだ少しは残っています。

これからどんどん消えていくのか?

それとも復元されて増えていくのかわかりませんが、貴重な資料も沢山残っていますので、興味ある方は参考にしてくださいな。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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