こんにちは!山猫の雑記ブログ管理人の山猫です。(@yamaneko_solar)
この記事を書いているのは、2023年7月17日(更新日7月18日)
2023年7月14日に公開されたスタジオジブリ作品 宮崎(宮﨑)駿 監督の最新長編アニメーション映画「君たちはどう生きるか」を観てきました。
正直なところ、途中まではいったい私は何を見せられているのだろうか?と思ったよ。
結果的には素晴らしい映画だと思ったよ
あとからあとから、じわじわくる感じ。
ただ、劇中で時代背景(場所や時期など)の説明が全くなかったため、どう判断すればよいのかわかりにくかったのも事実。。。(このぐらいの事は絵から読み取ってねという監督の意図を感じました。)
というわけで、個人的に混乱した点についていくつか調べてみたので書き出してみたいと思います。
※ この記事は、多分にネタバレを含んでいます。内容を知りたくないよ!という方は、この先は読まない事をおすすめします。
※ この記事を書いている段階で、1度しか映画を見ていないため、内容について間違いや記憶違いがある可能性が高いです。
スタジオジブリ映画「君たちはどう生きるか」時代背景【時系列】の考察
この映画は、太平洋戦争中の日本(主に1942年~1944年)を舞台にしていると考えられるのだけど、別にどこにも実在の時代・場所とは書かれていないので「すべて架空の時代、場所」なのかもしれないです。
でも、それだと考察しようがないので、舞台は日本、年代は第二次大戦中とするよ。
ざっくりと年表【時系列】をまとめてみた。
年表の根拠になるトピックをいくつか。。
1941年~1942年 病院の火事(眞人の母が火災に巻き込まれる)場所(多分東京or神奈川)
火事の2年後に疎開したという説明があった気がする(すでにうろ覚え)なので、眞人の母が入院していた病院が火事になったのは、1941年~1942年と考えられる。
この時期、空襲はまだ始まっていない。(※1942年4月18日にドーリットル空襲があるけれど、これは昼間なのでこの火災の原因ではない)。火災を認識するまで主人公が寝巻で寝ていたことを考えても、空襲ではなく火災と考えられる。
東京が本格的に空襲を受けたのはサイパン島が陥落してから。。
つまり眞人と父親が疎開した後の事だよ。
~1941年~1942年の根拠~
- 火事の2年後に疎開したという説明から逆算
- 劇中に出てくる戦車が、旧砲塔チハだった。
作中で、街中を移動する戦車は、「九七式中戦車 チハ」ぽい見た目。
九七式中戦車 チハは、1938年~1944年にかけて生産された日本の主力戦車だが、途中でマイナーチェンジ(1942年後半)をしている。
劇中に登場している戦車は、マイナーチェンジ前(旧砲塔)だったので、1942年より前と考えるのが自然
前に作った戦車を移動させているという可能性はないの?
そうだね。その可能性もあるね。。
また・・・
このシーンが、1944年の6月だとしたら・・
新砲塔の生産不足を解消するために、旧砲塔の97式中戦車を平行して生産していたという史実を再現しているのかもね。
1944年6月~7月 疎開(多分栃木県)
1944年の初夏に、主人公の眞人と眞人の父親は、田舎に疎開。。ただ疎開と言っても、眞人の父親は、航空機の部品を製造している工場の経営者なので、一般的な疎開とは雰囲気が違う。
疎開先は、再婚相手の夏子さんの実家。場所は特定されていないが、宮崎駿監督は戦時中、宇都宮・鹿沼に疎開していた経験があり、父親は実際に零式艦上戦闘機の部品を製造する工場を経営していた事から、栃木県に疎開していたと考えるのが自然。
劇中でも、鉄道が止まって出荷できなくなった、零戦の風防が家に運ばれてくるシーンがあったよね。
あれってゼロ戦の風防なんだ。。
飛行機の風防ってみんな同じに見えるけど。。
零戦の風防は、前の部分に大きな段差があるけど、その後ろは比較的まっすぐなのが特徴なんだ。
中島飛行機が作っていた隼、鍾馗、疾風・・とは、造形が微妙に違うのだ。
マニアックだねえ。
ちなみに、宮崎先生が疎開していた建物は、今もまだ残っていて、ギャラリーとして使用されているらしいです(リンク)。
建物の雰囲気が、劇中で描かれている夏子さんの家(母屋)ととても良く似ています。
~1944年6月~7月の根拠~
引っ越し後の食事の時の会話で、サイパン島が陥落したという話題がありました。サイパン島の戦いは1944年6~7月。この会話は引っ越し後時間が経っていない時期と考えられます。
でも、夜は冷えると言っていたし真夏という感じではないよね。
そうなんだよね。5月の終わりか、6月のはじめに引っ越してきたのかもね。
眞人の年齢
疎開時の眞人の年齢ですが、国民学校に通っていた事を考えると、14歳以下(誕生日前なら13歳以下)だという事はわかります。
初等科か、高等科のどちらかはわかりませんが、体格や言動・まわりの子供たちの雰囲気から考えると、高等科の可能性が高いのかなと思います。
ちなみに、この当時の国民学校の年齢はこんな感じでした。
入学時(修了時)の年齢 | 1941年(昭和16年) |
国民学校令 | |
6歳(7歳) | 国民学校初等科1年 |
7歳(8歳) | 国民学校初等科2年 |
8歳(9歳) | 国民学校初等科3年 |
9歳(10歳) | 国民学校初等科4年 |
10歳(11歳) | 国民学校初等科5年 |
11歳(12歳) | 国民学校初等科6年 |
12歳(13歳) | 国民学校高等科1年 |
13歳(14歳) | 国民学校高等科2年 |
今で言うと、
小学校は初等科
中学校は高等科
が近いね。
眞人の母(久子15歳)が下の世界に行っていた時期
眞人の実母(久子)が子どもの時に下の世界に行っていた年代ですが
- その当時 久子は15歳
- 眞人は、12歳前後(1944年)
- 戦前(1930年~40年の女性の平均初婚年齢 )は23歳
もちろん結婚後すぐに子どもができたかどうかはわかりませんが。。。仮に25歳で眞人を生んでいると仮定すると。。
1922年 久子 15歳
1932年 眞人 生誕 久子 25歳
1944年 眞人 12歳
となります。つまり約22年前という事になりますね。
でも、そうなると、久子さんと同じドアから出ていった、キリコさんの歳が合わない気が。
確かに、下の世界でのキリコさんは、20代~30代って感じだったよね。
劇中の7人のおばあちゃんたちの年齢は良くわからないけれど、60年あの屋敷で奉公しているというセリフがあったようななかったような。。。(めちゃ曖昧です。)
そうなると、現在は70~80歳。。22歳引いても 50~60。。うーんまだ見落としている部分があるのかもしれません。
もしかしたら、違うドアから出たのかもしれないね。
ざっくりとした年表
1922年 眞人母(久子(ヒミ))1年間 下の世界へ
1930年前後 眞人父-母 結婚
1942年前後 眞人母 火災により死亡
1944年 眞人父-夏子(久子の妹)と再婚 疎開
1946年 第二次世界大戦終了後、東京に戻る
想像が含まれているから、間違えている可能性は高いよ。
鵜呑みにしないでね!
まとめ
正直なところ、この映画は本題に関係のない要素が多すぎて、今の所消化不良気味です。
話の筋は、ファンタジーの王道でもあり、「千と千尋の神隠し」と共通の部分もあるのですが、「君たちはどう生きるか」のほうがより複雑で見る人を試していると感じましたね。
個人的には、最後崩れ去る塔から脱出するときに、眞人母(久子(ヒミ))が、眞人にかけた言葉が印象的だった。
あの言葉だけで、私は満足です。
眞人母(久子(ヒミ))さんの生への考え方がとても素敵だったね!
この記事はこれでおしまい
また気になる点があったら記事にする予定だよ。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
↓実は、この本(失われたものたちの本)が本映画のシナリオに近い。というか・・かなり近い
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