(この記事の最終更新日は、2020年3月9日です。)
こんにちは!山猫の雑記ブログ管理人の山猫です。(@yamaneko_solar)
山猫が住んでいる、静岡県には、3本の大きな川が流れてします。
それが、、富士川、大井川、天竜川。
(安倍川と狩野川の大きいぞ!という声が聞こえてきますがキリがないので・・・)
その中でも、江戸時代、橋を架けることが禁じられていた大井川は、東海道の要衝でした。
今回訪れた、島田市は、大井川の東岸にある街で、東海道の宿場町として古くから栄えていた所。
この記事は、静岡県島田市にある、島田市博物館と、隣接する島田宿大井川川越遺跡に行ってみた!レポートとなります。
静岡県島田市 島田市博物館と島田宿川越遺跡への行き方!
島田市博物館は、大井川沿い。東海道本線と、国道一号線の間にあります。
自動車の場合は、国道一号の大井川橋梁の手前を右に
(島田駅側から向かった場合)曲がって大井川沿いを南下するとすぐに見つかります。
バスの場合は、島田駅と金谷駅からバスが出ていますが、本数は多くないのと、運行しない曜日があるので、事前によく調べてから行くことをお勧めします。
島田市博物館は、島田駅から1.5kmくらいなので、歩いていくことも可能なのですが。。
途中に大きな工場があったりして、あまり散歩に向いている道とは言えません。。
あんまりお散歩に向いている道ではないなあ。。
大井川河川敷の道路から見た島田市博物館です。
とても立派な建物ですね!これはかなり期待できそうです。
島田博物館は、島田宿川越遺跡の入り口にあります。
このまま直進すると川越遺跡。左に曲がると島田市博物館。右に曲がると、朝顔の松という名前のついた松がある公園があります。
朝顔の松の前には由来の書いたボードがありました。
ちょっと寄り道。。川越遺跡について
島田市周辺に住んでいる人ならば学校で習うのですが、島田宿の川越遺跡についてちょっと説明。
旧東海道の島田宿と金谷宿の間には、大井川と呼ばれる大きな川が流れているのですが、実はこの大井川、明治時代になるまで、橋が無かったのです。
人の往来が多かった東海道なのにです。。
大井川をどうやって渡ったかと言うと、川越人足と呼ばれる人におぶってもらったり、輦台(れんだい)おみこしのような物を複数の川越人足に運んでもらったりしていたのです。
でも、雨が続いて川が増水するとさすがの川越人足でも、川を渡れなくなってしまうのですね。そうすると、川の水が引くまで、島田宿や金谷宿で待機しなくてはいけない事もあったそうな。
なかなか水が引かなくて、島田宿だけじゃなくて、隣の藤枝宿や岡部宿
まで、人が溢れた事もあったみたいだよ!
東海道中膝栗毛でも、岡部宿で待機してたよね!
そんな情景を読んだ有名な歌があります。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」
箱根山もかなりの難所ですが、大井川は渡れない時は絶対に渡れない東海道一の難所だったわけです。
という事で島田の宿はいつもにぎわっていたそうです。
そんな、川越の為の宿場町が復元されて残っているのです。
島田市博物館のご案内
島田市博物館は、本館の他に分館があります!
分館は、島田宿の川越遺跡の中に設置されていて、本館からは歩いて数分の距離。
車で移動する距離ではないのですが、分館の前にも駐車場が準備されているので、本館から分館まで自動車で移動する事も可能です。
道は平坦で、途中に島田宿を復元した建物もあるので、天気の良い日は、散歩しても楽しいよ!
島田市博物館の営業情報
臨時休館日は、臨時なので日時が決まっていません。。当たり前ですね。
博物館に行く前に、公式HPを見ておくと安心です。
島田市博物館(本館)をご案内
実は、山猫が島田市博物館を訪れた時は、特別展示として、島田の刀鍛冶展をやっていて、見事な日本刀がたくさん並んでいたのですが・・・
そちらの展示は撮影禁止との事で。。今回ご紹介するのは、常設展示と屋外展示のみになります。
とりあえず入り口までやってきました。
島田市頑張っているな!という感じの博物館ですが、人の気配がないのがきになります。。
取材日は、日曜日・・・人がいないのは寂しいなあ。。
とりあえず中に入ってみましょう。
チケットを購入して最初に行ったのが、なぜかトイレです。
なんで、トイレの写真なんだ!と怒られそうですが、子どものいるご家庭では、どんなトイレがあるかは重要な問題なんです。
本当はおむつ替えシートの有り無しもレポートすべき何ですが。。
男子トイレだけしかレポートできないので・・・申し訳ないです。
博物館が新しい事もあり、トイレも清潔で綺麗ですね!
よーし。では常設展示を見に行こう!
常設展示は、島田市の伝統文化や、有名な大井川の川越についての展示が多いですね!
時代劇に出てきそうな感じ。江戸時代ははるか昔に感じられますが、実は200年前はまだ江戸時代なんですよ!
そう考えるとそれほど前ではないような気がしてきますね!
といか、この200年の変化が凄すぎって言った方が合ってるのかな。。
展示のボードはちゃんとしています。
島田宿の成り立ちなどの説明はとても分かりやすいですよ!
旅装束の紹介などの展示です。昔の旅人の様子がよくわかります。
もう少し、リアルな人形だと面白そうですが、いかがでしょうか?
(磐田市の旧見付学校の人形は異常にリアルで、思わず挨拶しそうになりましたが。。島田はそこまでではないし、そもそも顔無しです。。)
島田でもう一つ有名なのが、島田髷。女性用の髷で有名なんです。
これは、常設展ではなく、階段で2階に上がったところにあるボードです。
東海道島田宿の案内図。これを見ると、かなり大きな宿場町だったことが分かりますね!
お隣の藤枝も旅籠がたくさんありますが、島田宿は、宿場町がとても長い気がします。
ではそろそろ、外に出てみましょう。
出口をでて、右手の方に歩いていくと、いくつかの屋外展示があります。
焼き物の窯とか、
消防ポンプの展示があったり、
大井川の堤防の作り方。(石をネットのようなものに入れて、敷き詰めるのが珍しいのかな?)
明治時代になって、船で渡る許可がおりたあとに使われた、渡し船の展示があったりします。
とても、立派な博物館で、島田市の文化、歴史、民芸を学ぶのならここに来るのが最適だと思います。
写真では紹介できませんでしたが、島田宿の歴史を映像で教えてくれたり、じっくり時間をかけてみたい施設だなと感じました。
島田宿川越遺跡をご案内
次に、島田宿川越遺跡に行ってみます。
上の方で、この島田宿が、東海道でどのような位置づけにあったかは説明しましたね。
東海道の難所。大井川を渡るためには、川越人足の助けを借りなくてはいけなかったのです。
この島田宿では、川を渡るための切符の販売や、川越人足の手配などを行う施設があったのです。
東海道島田宿の建物は、ほとんど取り壊されてしまったのですが、いくつか昔の状態を保持(復元)していて、それを見学できるようになっています。
では、博物館を出て、川越遺跡の方へ行ってみましょう。
今の大井川には、立派な堤防が作られていますが、江戸時代は当然ここまで立派な堤防はなかったわけで、川沿いにある島田宿は、大水対策が重要な任務だったようです。
最初に登場するのが、せぎ跡。街を守るための堤防があったと考えれらています。
こんな堤防がどのくらい効果があったのか、、今の堤防を見た後ではとても貧弱に見えます。
歩いていくと、島田大堤という看板が!確かに堤防のようになっています。
これが、江戸時代の堤防だったんですね!今と比べればかなり小さいですが、昔の技術だとこれでも大変な規模だったのだろうと想像できます。
以前は、この堤防が長く伸びていたようですが、時間の経過と共に、消えて行ってしまったようです;。
これは、隣町、藤枝にある千貫堤と同じ運命ですねえ。。
街中に堤防があっても役に立ちませんからいつの間にか削られてなくなってしまうのです。
川越の価格を決めたり、人足の管理をしていた役所のような建物です。川会所と呼ばれていたようですね。
この川会所。以前は別の所に建っていたと書かれていました。。
(保存の為移設された?)
古い建物ですが、中の見学をさせてくれます。
だれか奥の方に座っていますね。この川会所を管理していた人のようです。
実は、この建物が川越遺跡で一番大きな建物。展示してあるものも一番多いです。
川越に使った、輦台(れんだい)も展示されています。
川会所を出て、目につくのが、「そば」のお店。
店の入り口には、お土産物コーナーもありますよ。
焚火のにおいが何ともいい感じです。
この先にあるのが、川越の切符の代わりになる、「札」をお金に換金してくれる建物や、川越人足の詰め所のような建物がいくつか。。
宿と書かれていますが、お客さんが止まるのではなく、川越人足の詰め所だったようです。
この大井川の渡河の為に配置された、川越人足は、数百人!当時はかなり賑わっていたのだろうな!
すごいなあ!お客さんも沢山いただろうから、かなりにぎわっていたんだろうね!
今は、このような番宿がいくつか残されている他に、島田市博物館の分館が設置されています。
この建物は、島田市博物館の分館だけでなく、海野光弘さんの版画記念館。島田市の民族資料室も兼ねています。
とても素晴らしい日本建築の建物で、博物館としてだけでなく、建物自体もとても楽しめますよ!
最後に、大井川を見に行ってみましょう。
今は、立派な堤防に囲まれている大井川。写真で見るとどこに水が流れているかわからないくらい水量も少なくなっています。
これは、ずっと雨が少ない状態が続いているという理由もあるのですが、、最も大きい理由は、上流のダムで水を取水して、志太平野の飲み水や農業用水として使用しているからなんです。。
今は、大人ならちょっと濡れるのを覚悟すれば、川を渡れそうな感じですが、
川越人足が活躍した、江戸時代では、全く違う風景が広がっていたのでしょうね!
まとめ
今回は、静岡県島田市にある、島田市博物館についてレポートしました。
最近、この手の博物館をいろいろ回っているのですが、共通しているのは、お客さんが少ない事。
郷土の歴史を学ぶ事はとても面白い事だと山猫は思っているのですが。。。
みんなあんまり興味がないのかな?
せっかく、立派な博物館を作っても、お客さんが少ないのでは、、、
という事で、この記事を読んだ人のうち一人でも、島田市博物館や、川越遺跡に行ってみよう!
と思う人がでたらいいなあと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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