(この記事の最終更新日は、2020年3月11日です。※取材日は、2019年4月6日)
こんにちは!山猫の雑記ブログ管理人の山猫です。(@yamaneko_solar)
山猫は、古い建物が大好き。特に明治から大正、昭和初期の建物は、外国の文化と日本の文化が程よく同居していたりして、興味がつきません。
細かい部分まで手が込んでいる建物が多いよね!
このブログでも今までいくつも古い建築物を紹介してきました。
今回は、静岡県磐田市にある、「旧赤松家」を見学してきたのでご紹介!
ちなみに、磐田市の歴史的建造物と言えば、明治初期に建てられた木造校舎「旧見付学校」が有名。
このブログでは、旧見付学校のレポート記事も書いています。
今回ご紹介する「旧赤松家」は、旧見付学校から車で5分ほど。
どちらも駐車場を備えていますので、観光で訪れるときは両方とも見学するコースを設定するのがおすすめです。
今回の記事は、旧赤松家がどんなところなのか、記事を読んで少しでもわかるように写真多めでレビューしていきたいと思います。
旧赤松家(旧赤松家記念館)の概要
赤レンガで組まれた構造物の上に瓦の屋根が乗っているよく見ると面白い構造をしているのが、旧赤松邸の正面入り口。
この旧赤松邸の概要は、磐田市公式HPから引用させていただきます。
近代日本の造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した海軍中将男爵赤松則良の邸宅跡です。
明治20年代に建てられた門・塀・土蔵は県・市の指定文化財となっています。
敷地内には庭園と旧赤松家記念館があり、記念館では旧赤松家ゆかりの文化財や寄贈資料等を展示しています。
海軍中将!の赤松さんという方は、オランダで造船の技術を学んで、後に横須賀造船所の所長にもなった方。
さらに、明治初期に、磐田で茶園の開拓を指揮した人でもあるのですね。
実は、「赤松則良」は、咸臨丸で「勝海舟」とアメリカにわたっているわけですが、
「勝海舟」も、後に静岡県中部の牧之原台地の茶園の開拓を指揮しているのです。
(静岡県島田市の蓬莱橋には、「勝海舟」の銅像があります。)
蓬莱橋は↓こちらの記事で詳しく解説しています。
このあたりの歴史は調べてみると面白そうです!
旧赤松家への行き方と基本情報
旧赤松家(旧赤松家記念館)は、磐田駅から自動車で10分程度。東海道、見付宿の北側にあります。
道は整備されていてとても分かりやすい場所にありますので、カーナビがあれば迷うことはないと思います。
基本情報
駐車場、トイレ
無料の駐車場が、旧赤松家の北側にあります。
駅の方から向かった場合、旧赤松邸の正門を通り過ぎてすぐの場所にありますよ!
駐車場は広々としています。多分20台くらいは駐車できると思います。
山猫はこの旧赤松家を何回か訪れているのですが駐車場がいっぱい!という経験はありません。
何かイベントがなければ、駐車場の心配をする必要はなさそうです。
トイレは、駐車場から入ってすぐの建物。
これ、絶対古い建物ですよね。。昔の蔵?を改装してトイレにしてしまっています。
(中はふつうの公衆トイレですよ!)ちょっともったいな気がするのですが・・・いいのかな?
旧赤松家(旧赤松家記念館)を出来るだけ詳しくレポートしていきます!
実は、この旧赤松家。本丸ともいえる母屋は残っていません。
母屋が残っていたらどんなに良かったかと思いますが、仕方がありませんね。
その代わり、母屋以外の建物はたくさん残っていますので、見どころは十分です。
というか、これで母屋が残っていたら、見るのが大変!
見学するだけで一日が終わってしまいそうです。
では、さっそく正門から入っていきましょう。・・・
その前に
レンガの積み方に注目してください!
旧赤松家はレンガの建物がたくさんあるのですが、実はレンガの積み方は一種類ではないのです!
(そもそもレンガの積み方に種類があるなんて初めて知りました。。)
これからたくさんの写真が出てきますが、レンガの積み方にも着目してみてください!
旧赤松家 建物の配置図
ちなみに旧赤松家の建物の配置はこうなっています。
とりあえず③と書かれた正面入り口から入っていくわけです。
(駐車場から一番近い門は通用門なのですが、それだと味気ないので、建物外の通路を通って正面入り口に回ってきました。)
③正面入り口
正門に行く途中の門も立派なレンガ作り。
この門のレンガの積み方は「イギリス式」ですね。
では、正門の方へ行ってみましょう。
正面入り口の左右の建物は、以前は中世ヨーロッパのお城のように上面が平らで砦のような感じだったようです。
説明書きの中の写真をよく見ると、昔の赤松家の門がどのような形であったかがわかります。
ちなみに、この門のレンガ積みは、「フランス式」ですね!
門の建物の中は、従者の休憩所になっていたそうです。
片方の建物は畳敷き。ものすごく畳の高さが高いのですが何か意味があるのかな?
では次は、図書蔵に行ってみます。
④図書蔵
大正時代(1912~1926)に建てられた蔵です。
ただ、蔵ではあるのですが、なぜか窓が多く設置されています。ふつう蔵は日の光が入らないように、窓をほとんどつけないのが普通ですよね。
でも、この図書蔵は、住居として使えるように考えられていたようです。
(実際、住居として使われていた期間があるようです。)
どちらかといえば、日の光を積極的に取り入れる構造になっていますね!
では、中に入ってみましょう。
床が高いのが特徴的な建物。中はかなり明るいですね。
床下を見ることができるようになっています。
この建物は二階建て。二階に上がってみます。
構造がしっかりしていて、とてもがっちりしている印象。
古い建物にありがちなギシギシ感は感じられません。
二階の窓からの眺めです。実はこの窓ガラス。
下の2枚は、大正時代のもの。上の二枚は新しいものなのです。よく見ると、下の二枚は、道路の白線が歪んでいます。
これが、大正時代と現在のガラス加工技術の差なんですね。
もともとここは、図書蔵でしたので、大量の図書が収蔵されていたようです。
ここに保管されていた図書は、赤松文庫として、磐田中央図書館に寄贈されたとのことです。
では次は、米蔵に行ってみましょう。
②米蔵
明治33年(1900年)に建てられた蔵です。
レンガの蔵は珍しいですよね。ちなみにこの蔵のレンガの積み方は、長手積みです!
中は、赤松家の家系図や主要人物の歴史などが書かれています。
よく見ると、著名人の名前がいっぱい!森鴎外とか教科書の中の人が出てきます。
よく見ると、各界の著名人がいっぱい出ている家系図。
これが一流ということなのでしょうね。。私とは全く違う世界に素直に関心します。
面白いのが、昔の旧赤松家周辺を描いた絵。
周りは森で何もありません。でも、家の前に鉄道(軽便)が走っていたようです。
では次に旧赤松家記念館に行ってみます。
①旧赤松家記念館
こちらに展示されているのは、旧赤松家に関する貴重な文化財。
この建物は新しく資料館として新しく建築したもの。
貴重な勲章などが収められています。
係りの人が収納物について詳しく解説してくれますので、いろいろ質問してみると面白いですよ!
なんだか、ものすごく高級な感じがしますね。。
大きな掛け軸があったり、琵琶が展示されています。
写真を撮るのを忘れたのですが、菊の御紋が入った杯も展示されていました。
記念館からは、和風庭園を眺めることができます。
では、次は、母屋の跡地を見に行きましょう!
⑤母屋跡(銅像)⑥内蔵 貯蔵庫 井戸など
記念館から歩いて行ってまず目に入るのが、この井戸。
今は井戸の蓋は閉められていて使えないようになっています。
井戸の向こうはレンガの壁。
あれ?この壁のレンガの積み方は、フランス積みとイギリス積みが混ざっている感じですね。。
赤松則良(あかまつのりよし)さんの銅像です。簡単な略歴が書かれています。
母屋跡は、看板だけ。きっとすごい建物だったのでしょうね!
広場の北側には、薪などを貯蔵しておく貯蔵庫がありました。
最後に見るのがこの内蔵。
お盆や食器などを入れておいた蔵という説明がありましたが、いったいどのくらいの食器があったのでしょう。。
この内蔵の1階は、ギャラリーとして開放されています。
私が訪れたときは、桐林さんという方の水墨画展が開催されていました。
ちなみにこの内蔵の2階も展示フロアになっています。
磐田は、昔たばこを生産していたようで、その時代の記録が残されていました。
旧赤松家は、どの建物も梁が立派。これだけでも一見の価値がありますよ!
これで、ようやく一回りしてきました。
今回見学した2019年4月6日は、ちょうど桜の時期で旧赤松家の中の桜の木もとても素敵でしたよ!
まとめ
今回は、静岡県磐田市にある、旧赤松家(旧赤松家記念館)をレポートしました。
レンガを多用した明治時代の建築物はとても珍しい。保存状態もよく、気持ちよく見学できます。
旧見付学校を見学した時も感じましたが、磐田市は古い建築物の保存をとても大事にしているなと感じます。しかも見学は無料!
ぜひ、観光コースに加えていただきなとおもいます。
以上最後までお読みいただきありがとうございました。
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