山猫は、クリスチャンではないのですが、キリスト教の聖書には興味深い話も多く、たまに取り出してきては読んでみたりしています。
しかし、、
正直なところ、聖書は言葉が難しすぎるのです。
私がいつも読んでいる聖書は、、
「新日本聖書刊行会 翻訳 聖書 新改訳」という本なのですが、
なんと第一版が発売されたのが、1970年9月1日と、すでに50年近くたっている本なのです。
小型聖書 新改訳
なるほど、50年も前の訳だと、難解でも仕方がないのかも。
聖書の原文はもちろん日本語ではないわけで、その他国の言葉(聖書の原典がどの言葉で書かれていたかは意見が分かれているらしいのですが・・・
ざっくり言えば、旧約聖書はヘブライ語 新約聖書はギリシャ語らしいです。)を、日本語に翻訳して、日本語版の聖書にしています。
もともと、文化や時代が全く違うわけですから、原文を正確に日本語に訳すというのは難しい事(そもそも対応する日本語がない場合もある)ですので、なるべく正確でかつわかりやすい訳が求められてきたのだと思います。
この、新改訳聖書も、それ以前のものに比べるとかなり優しくなっているのですが、それでも難解な箇所ばかりという状態ですね。。
山猫が最近読んで意味不明だった箇所を例に挙げます。
ヨハネの福音書 3章11節~16節 新改訳 聖書より引用
11. まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。
12.あなたがたは、わたしが地上のことをはなしたとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
13.だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
14.モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15.それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
16.神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
初めて読んだときは、あまりの難解さに聖書を閉じてしまいました。
訳は正確なのかもしれませんが、素人読者には敷居が高すぎるなあと感じました。
でも、世の中には、もっともっとわかりやすい訳の聖書も存在するのです。
専門家から見ると、意訳しすぎて、原文と離れていると主張する人もいると聞きますが、それでも、聖書に親しむのであれば、なるべくわかりやすい訳で読んで、ある程度雰囲気を感じ取った後、難しい訳の聖書に挑戦してもよいと山猫は考えています。
では、読みやすい訳で有名な、リビングバイブルで先ほどと同じ場所を引用してみます。
11.わたしは、知っていること、見たことだけを話しているのです。それなのに、あなたがたは信じてくれません。
12.わたしが話しているのは、人間の世界で現に起こっていることなのです。それも信じられないくらいなら、天で起こることなど話したところで、とても信じられないでしょう。
13.メシアの私だけがこの地上に下って来て、また天に帰るのです。
14.モーセが荒野で、青銅で作った蛇をさおの先に掲げたように、わたしも木の上にあげられなければなりません。
15.わたしを信じる人がみな、永遠のいのちを持つためです。
16.実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。
まだ、難しいところはありますが、かなりわかりやすいと思います。
特に、14節は、新改訳だと、言葉の背景をよく知らないと、全く意味不明なのに対し、リビングバイブルでは、「あの話のことを言っているのか。。」ぐらいはわかります。(もっと勉強しなければいけませんね!)
キリスト教の専門家でなければ、なるべくとっつきやすい聖書から読み進めていって、内容がある程度理解できてから、正確な訳の聖書に挑戦するという方が、途中で投げ出す確率を減らせると山猫は考えています。
ぜひ、参考にしてください。
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