(この記事の最終更新日は、2020年3月6日です。)
こんにちは!山猫の雑記ブログ管理人の山猫です。(@yamaneko_solar)
管理人の山猫が今現在、住んでいるのは、静岡県ですが、以前は関東に住んでいました。
そこで、家の近くにあった蕎麦屋が「増田屋」という名前。
ちょっと出かけて見かけた蕎麦屋もまた「増田屋」なんだか都内には「増田屋」と名乗る蕎麦屋が多いなあという印象を持っていました。
でも、あまり深くは考えずに、この前、地元(静岡県)をぶらぶらしていて見つけた蕎麦屋が・・・「増田屋」!
もしかして、この「増田屋」さんは、全国チェーンの蕎麦屋なのかも!という事でちょっと調べてみました。
増田屋の歴史
いろいろ調べてみると、「増田屋」さんは、チェーン店ではなく、のれん分けというシステムで増殖していったようです。
のれん分けとは、元の店で修業した職人さんが独立するときに、同じ屋号を名乗るシステムですよね。
実はそば屋業界では「のれん分け」が、よく行われているのです。
では、増田屋さんの最初のお店はどこにあるのでしょうか?
増田屋のルーツ
増田屋の元祖は、明和5年(1768年)に開業した「増田屋次郎介」だそうです。(明治5年じゃないですよ!明和5年です。)
1768年って、江戸時代だよね??そんな昔から続いている店なんだ!
増田屋の「のれん」が開業した(暖簾分けの始祖が開業した)のが、明治23年(1891年)。
場所は港区麻布(旧町名)の日赤正門前だったそうです。
明和5年(明治でも昭和でも令和でもないですよ!)から、明治23年までの長い間は、どのような扱いになるのか山猫にはよくわかりませんが、とりあえず、明治23年に元祖「増田屋」が開店したわけです。
増田屋ののれん分け
暖簾分け一号店は、明治45年(1912年)。古道さんという方がのれん分けで原宿店を開いたそうです。
ここからどのように増田屋が発展したのか、よくわからないところもあります。
特に、戦争中や、戦後まもなくの頃は、蕎麦屋を営業することも困難だったのでは?と思います。
記録が残っているのが、昭和26年。正式に「増田屋のれん会」が発足して、その後、爆発的に店舗を増やしていきます。
現在の店舗数は、約200店舗。
増田屋さんは、のれん分けで枝分かれをしていったわけで、チェーン店というわけではありません。
なので、すべての店が同じ味を目指しているというわけではないそうです。
お店ごとに特色を持っているようですので、食べ比べをしてみても面白いですね!
他にも「のれん分け」で数を増やした店があります。
実は、のれん分けで店舗が増えたのは、増田屋さんだけではありません。
調べてみると蕎麦屋さんは、この暖簾分けシステムを導入しているところが多いことがわかりました。
代表的な物は、下の3系列です。
・藪蕎麦
・砂場蕎麦
名前を聞いたことがある!という人も多いのではないですか?
お店ごとに特色があって食べ歩くのも楽しいのです!
でも、どうせ食べに行くのであれば、おおもとに近い店舗に食べに行きたいですよね!そこで、更科蕎麦、藪蕎麦、砂場蕎麦の名店を調べてみました。
更科蕎麦の有名店
更科そばの有名店は、すべて東京の麻布十番に集中しています。
藪蕎麦の有名店
砂場蕎麦の有名店
もちろん、ここで上げた店舗以外にも、暖簾分けされた店舗がたくさんありますので、お気に入りのお蕎麦屋さんを探して歩くというのも面白いと思います。
まとめ
今回の記事は、なんだか「増田屋」という名前のお蕎麦屋さんが多いなあと感じていた山猫が、お蕎麦屋の「のれん分け」システムについて調べた記事でした。
のれん分けですから、チェーン店でもないし、同じ流れの中でもいろいろな味がある。
のれん分けのお蕎麦屋さんの食べ歩きというのも面白そうですね!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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